大学職員のブッキッシュライフ

大学職員が本を読んで綴ります

シリーズ「大学巡礼」①――満州建国大学

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 昔、満州国満州建国大学という大学がありました。

 石原莞爾が構想した大学で、「五族協和」の名の下に、日本、中国、朝鮮、モンゴル、ロシアから集った学生が同じ釜の飯を食い、机を並べて学びました。満州国の崩壊とともに閉学してしまったので実質的な活動期間は8年足らずですが、ガンジー胡適パール・バックトロツキー崔南善ら、アジアを代表する知識人を教授に招聘しようとする(結局招聘には失敗したようですが)、まさに規格外のバケモノ大学でした。「建国大学では日本人学生は定員の半分に制限され」たというエピソードはどこか立命館アジア太平洋大学を髣髴とさせます。

 石原莞爾という人物の評価は私の手には到底負いかねますが、この構想を一人で書き上げた石原の頭脳には一人の大学人として畏敬の念を抱かざるを得ません。崔南善なんて三・一独立運動(要は反日運動)の運動家ですよ? 面白すぎます。

 満州建国大学関係で、抜群に読ませるのは三浦英之さんの『五色の虹――満州建国大学卒業生たちの戦後』集英社開高健ノンフィクション賞受賞)です。三浦さんが満州建国大学の卒業生を訪ねて大連、長春ウランバートル、ソウル、台北アルマトイカザフスタン)を行くのですが、運命に翻弄された彼らの戦後は実に、実に様々。

 特に日本人卒業生がロシア人卒業生に会いにいくところなど涙なくしては読めません。カザフスタンアルマトイ国際空港に着くと、どこからともなく満州建国大学の寮歌が聞こえてくるのです。。

 大学関係者、大学無関係者、すべての方に読んでいただきたい名作です。

五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後

五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後

我らが隣人、フローレンス・ナイチンゲール

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 看護婦(看護師)と大学職員は、高度に専門的な職業である医師や大学教授の傍で働くがゆえに、しばしば副次的な存在として扱われてきたという点でもよく似ている、そんなことを考えさせられた一冊です。

 長島伸一『ナイチンゲール』(岩波ジュニア新書)は、「クリミアの天使」「近代看護の先駆者」と呼ばれた偉人、フローレンス・ナイチンゲール(1820〜1910年)の生涯を、若い読者向けのわかりやすい筆致で教えてくれる一冊です。

ナイチンゲール (岩波ジュニア新書)

ナイチンゲール (岩波ジュニア新書)

 中でも私が興味深く思ったのは、彼女が看護婦であると同時に統計学者でもあり、膨大な政府白書の読込みと統計手法を駆使した丹念な分析が、社会変革の種を産み落としていったという伝記的事実です。

 これ、大学で言うところのIR(Institutional Research)なんですよね。データを収集・分析することによって事実を突きつけ、政策形成を促す。最終的な意思決定権を持たない者ならではの戦い方です。

ごあいさつ

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 このたび、読書ブログを始めることになりました。きっかけは東京大学名誉教授の佐藤学さんの本で、ジョン・デューイの思想に触れたことでした。

 デューイは、人の行為が他者に影響を及ぼすという事実の中に、「公的なもの」と「私的なもの」の区別の萌芽があると言う。人の行為の結果がその個人の範囲内にとどまるとき、そのいとなみ(transaction)は「私的」である

 デューイに照らすと、私の行為は常に私的領域に留まってきました。この小さなブログを開設することが、公的領域に足を踏み入れるための小さな、小さな一歩だったのです。。

学校改革の哲学

学校改革の哲学

母校以外の大学で働くということ

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大隈重信早稲田大学の卒業生か

 大学職員志望の学生と話すことがごくたまにあるのですが、彼らの一番の悩みは「母校以外の大学の採用面接を受けるとき、志望理由をどう言うか」であるようです。

 母校の採用面接だったら、「学生時代に受けた恩を返したい」とか何とか言えばそれで済みますが、縁もゆかりもない大学をわざわざ選んで「男子一生の事業」(夏目漱石)にしようというのですから、説明しづらいのは当然のことかもしれません。

 かく言う私もこれで、入職後も数年はこの問いの前で右往左往していました。だから、彼らの悩みが切実であることは誰よりもわかるつもりです。

 あるとき、そんな私を捕まえて尊敬する人生の大先輩がこう言いました。

 「大隈さんは早稲田の卒業生?」

 …目から鱗が落ちました。言うまでないことですが、大学のファウンダー(創立者)は例外なくその大学の卒業生ではありません。彼らを突き動かしたのは「学生時代に受けた恩を返したい」ではなく、次世代のために何か残したいというやむにやまれぬ思いであったはずです。

 

「贈与」と「交換」

 ここで思い出すのは、マルセル・モースの「贈与」という概念です。

 モースは19世紀生まれのフランス人で、人類の経済的行為である「贈与」「交換」に哲学的な意味を与えた文化人類学者として後世に名を残しました。

 哲学者の中沢新一さんによれば、「近代資本主義は社会の全域に交換の原理を行き渡らせることによって、人間関係の合理化を進めようとしてき」たそうです(中沢新一『愛と経済のロゴス』講談社選書メチエ)。だからでしょうか、私たちはついつい「交換」原理で物を考える癖がついています。志望動機を「学生時代に受けた恩を返したい」と「交換」の語法を以て語りたがるのもそのせいでしょう。

 京都大学教授の矢野智司さんの『贈与と交換の教育学』(東京大学出版会)は、「教育のはじまりとはいったい何か? そのとき立ち現れるのは、一切の見返りを求めない「純粋贈与」という、一見すると教育とは無縁に見える出来事である」として、「交換」一本槍の教育観をしりぞけます。

 

まとめ

 大雑把な整理で恐縮ですが、「学生時代に受けた恩を返したい」が「交換」だとすれば、「次世代のために何か残したい」は「贈与」です(言うまでもなく、モースの議論はもっと複雑で、深いものですが)。

 大学職員志望の若者に大隈重信ほどの大志を持てとは言いませんが、「交換」という支配的原理から一度解放されてみることは必要かもしれません。「交換」一本槍の教育観はやがて教育を自壊に導く気がしてならないのです。

 

贈与論 他二篇 (岩波文庫)

贈与論 他二篇 (岩波文庫)