大学職員のブッキッシュライフ

大学職員が本を読んで綴ります

母校以外の大学で働くということ

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大隈重信早稲田大学の卒業生か

 大学職員志望の学生と話すことがごくたまにあるのですが、彼らの一番の悩みは「母校以外の大学の採用面接を受けるとき、志望理由をどう言うか」であるようです。

 母校の採用面接だったら、「学生時代に受けた恩を返したい」とか何とか言えばそれで済みますが、縁もゆかりもない大学をわざわざ選んで「男子一生の事業」(夏目漱石)にしようというのですから、説明しづらいのは当然のことかもしれません。

 かく言う私もこれで、入職後も数年はこの問いの前で右往左往していました。だから、彼らの悩みが切実であることは誰よりもわかるつもりです。

 あるとき、そんな私を捕まえて尊敬する人生の大先輩がこう言いました。

 「大隈さんは早稲田の卒業生?」

 …目から鱗が落ちました。言うまでないことですが、大学のファウンダー(創立者)は例外なくその大学の卒業生ではありません。彼らを突き動かしたのは「学生時代に受けた恩を返したい」ではなく、次世代のために何か残したいというやむにやまれぬ思いであったはずです。

 

「贈与」と「交換」

 ここで思い出すのは、マルセル・モースの「贈与」という概念です。

 モースは19世紀生まれのフランス人で、人類の経済的行為である「贈与」「交換」に哲学的な意味を与えた文化人類学者として後世に名を残しました。

 哲学者の中沢新一さんによれば、「近代資本主義は社会の全域に交換の原理を行き渡らせることによって、人間関係の合理化を進めようとしてき」たそうです(中沢新一『愛と経済のロゴス』講談社選書メチエ)。だからでしょうか、私たちはついつい「交換」原理で物を考える癖がついています。志望動機を「学生時代に受けた恩を返したい」と「交換」の語法を以て語りたがるのもそのせいでしょう。

 京都大学教授の矢野智司さんの『贈与と交換の教育学』(東京大学出版会)は、「教育のはじまりとはいったい何か? そのとき立ち現れるのは、一切の見返りを求めない「純粋贈与」という、一見すると教育とは無縁に見える出来事である」として、「交換」一本槍の教育観をしりぞけます。

 

まとめ

 大雑把な整理で恐縮ですが、「学生時代に受けた恩を返したい」が「交換」だとすれば、「次世代のために何か残したい」は「贈与」です(言うまでもなく、モースの議論はもっと複雑で、深いものですが)。

 大学職員志望の若者に大隈重信ほどの大志を持てとは言いませんが、「交換」という支配的原理から一度解放されてみることは必要かもしれません。「交換」一本槍の教育観はやがて教育を自壊に導く気がしてならないのです。

 

贈与論 他二篇 (岩波文庫)

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